労働者に「一切責任はない!」

伯備線事故2周年1・20集会               inよなご

 

1・20伯備線事故2周年米子集会に15人が結集!

一月二十日、米子コンベンションセンターで伯備線事故2周年集会を開催しました。
「全ての責任は会社にあり、現場労働者に一切の責任はない」このことを鮮明に打ち出し、内外に明らかにしていった。当日は、主催者を代表して米子の国労組合員である鷲見さんから、「本来であれば「黙祷」の宗教儀礼から始めるのが通例かもしれない。しかし、亡くなられた皆様の「思い」を具現しようとするならば、「怒り」こそふさわしいのではないか、あえて黙祷はしないでおこう。黙祷を行うのは企業犯罪として会社の責任が明らかになったときであろう」と提起がなされた。

 そして、昨年十二月に開かれた初公判の状況、そして争われるであろう事故の予見性について会社が一切責任を放棄し、現場労働者に転嫁しようとしている実態が報告された。

 

 国労近畿地本の富田さんより38年前の伯備線事故と今日の事故の類似性と、何故38年前の事故の教訓が活かされなかったのかを、保線現場マニュアルを精査して、不自然な対応しか規定していない杜撰さを指摘し、その根本に分割民営化による現場要員の削減が最大の原因であり、事故の予見性は間違いなしにあったことを明らかにしていった。

 

 地元国労米子の組合員である入口さんの撮影によるビデオは、38年前の事故現場、見通しのきかないカーブから突如として列車が現われ、あっという間に飛び去っていく様が臨場感あふれるカメラワークで私たちを圧倒した。何故、列車ダイヤが大幅に乱れていたとき、この様な曲がりくねっている線路でありながら、両側見張り体制をとりえなかったのか、38年前の事故現場「日南町中石見」に実にひっそりと作られた慰霊の地蔵と、2年前の事故ですぐ近くにある根雨の保線詰所の横に実に堂々とした黒御影石で作られた「安全の碑」との対比は、時代の差はあれ、地元の人が花を供える以外取り立てて供養のされていない在り様と比べると、ものの哀れさえ感じさせる。この事故が今に語り継がれていたのなら、今回の事故は起きることがなかったと思うとき、いまさらながら怒りが込み上げてくる思いを禁じえなかった。

 

 動労西日本の大江さんからは、全国で続発する踏み切り事故についての現場からの検証がなされた。

 

 当日は地元NHKによるテレビ取材を受け、その日の6:45からのローカルニュースで放映された。意外と見ていた人が多く、「出てましたね」と声をかけてもらった。ともあれ、労働者を守りきることが労働組合の最大の使命であることを忘れ去った現在の労働組合のあり方を弾劾し、動労千葉型の労働運動が本当に広く浸透していくことこそが、世の中を変えていくのだ。こういう思いを参加者一同が意思一致し集会を締め括った。

 

日本海新聞特集号

 
4/8春季労働講座

4月8日の米子集会=春季労働講座〜伯備線事故の真相に迫る!

ジャーナリストの安田浩一さんを講師に迎え、20数名の結集で開催しました。地元米子をはじめ、この集会はマスコミの注目をあびるところとなり、5社7人のマスコミが取材にきました。米子における、階級的労働運動構築の出発点となる集会でした。            

 

国労米子地本の機関紙

事故現場調査報告

伯備線事故 職場討議資料

国労米子支部執行委員・ 米子地方工作協議会議長 鷲見 貢

JR伯備線触車事故に思う    

1969年当時、国労米子地本の執行委員でした万場さんからの伯備線事故についてメッセージ

動労西日本の緊急声明

国労共闘関西の見解 「伯備線事故に際して訴える」

36年前の教訓生かせず JR伯備線死傷事故 日本海新聞1/28

建交労西日本鉄道本部の事故に対するコメント


■JR伯備線作業員死亡事故 保線管理12人で50キロ

≪構造的課題浮き彫り≫

 鳥取県江府町のJR伯備線で、保線作業員4人が特急電車にはねられ死傷した事故は、福知山線脱線事故の再発防止を進めるJR西日本に大打撃となった。現場責任者の勘違いが事故原因との可能性が高まっているが、「少ない人数で増大する作業を消化しなければならない」という構造的な課題が透けてみえる。

 ≪単純ミス≫
 伯備線事故はJR西日本などの調査で、作業現場の見張り員が「次に通過するのは(米子方面からの)上り貨物列車と現場責任者から指示された」などと説明したことが分かっている。下り特急「スーパーやくも9号」の遅延情報が、支社の運輸指令から現場の作業責任者に伝達されたものの、現場責任者が判断を誤った“単純ミス”が原因の可能性も。

 JR西日本には保守作業用のマニュアル「触車事故防止要領」(触防)がある。各支社はこれを基に、管内の路線実情に合わせた「支社版」を策定している。

 伯備線の事故現場は単線で、日中は1時間に上下線合わせて5本程度しか列車の通過はない。見張り員の配置は、現場責任者が次の列車が近づく方向を予知し、その方向に見張り員を常時配置する「単線II型」と呼ばれる陣形だった。

 ただ触防では、ダイヤが乱れるなどの異常時は、列車の接近を確認することができる場合を除き、「区間の両側に見張り員を配置する」と明確に規定、マニュアル違反の疑いもある。

 ≪余裕なし≫
 作業員らは当時、線路のゆがみを修復する作業を急いでいた。しかし、現場は運転士らから対応を要請されるなど緊急性のあるものではなかったという。

 JR西日本は福知山線脱線事故を受け、新型ATS(列車自動停止装置)の増設など安全設備の充実を公約。

 さらに、山形県の羽越線脱線事故で、国土交通省からは風速計の運用方法や設置状況なども調査するよう指示されている。

 伯備線事故のあった米子保線区根雨保線管理室は、12人で延長約50キロを受け持っている。今回の事故の背景には、こうした作業を少ない人数でこなさなければならない実情もありそうだ。

【2006/01/30 東京朝刊から】

 

やくも号死傷事故
乗客の安全を守る保線作業が、効率化の中で軽視されているとしたら怖い

 「ある鉄道員の物語」という映画がある。英国鉄道民営化後の保線労働者たちを描いた映画だ。ベネチア国際映画祭の招待作品だが、まだ見る機会を得ていない▼内容を調べた。舞台は一九九五年のヨークシャー南部。民営化で会社員となった保線労働者らが、効率化と管理強化を重視する会社の方針に反対し、次々と辞める。会社は仕事が取れず、やがて閉鎖される。残った社員らは仲介業者の紹介で枕木交換の仕事に就くが、最低八人いる作業を六人で行え、という指示に反発してクビになるという筋だ▼鉄道の安全を地道な作業で支えてきた男たちが利益と効率化を優先させる会社の下、プライドを捨てて働かざるを得なかった苦悩を描いているという▼二十四日発生した「やくも号死傷事故」。保線作業中の三人が列車にはねられて死亡した。何とも痛ましい事故だ。列車の進行方向を勘違いした指示ミスの可能性が大きいというが、専門家は昨日の本紙で「上下線とも見張りを置けば起こりようのない事故」と指摘し、「経済性を追求した結果だ」とした▼近年では九九年にJR山手貨物線で保線作業の五人が死亡した事故が記憶に残っている。旧労働省は鉄道会社などに、保線作業での列車との接触災害防止の徹底を求めたが、その後も五件の死亡事故が起きた▼保線作業は季節や場所を問わずに行う大変な作業だ。経営には利益追求、効率化は必要だが、交通機関では安全性が最優先されるのは言うまでもない。「ある鉄道員〜」のように保線作業は鉄道を陰で支えるという自負がある。乗客の安全を守る保線作業が、効率化の中で軽視されているとしたら怖い。(野)山陰中央新報 1/26

 

 

 [例え誰かのミスだったとしても、個人を責めるようなことは絶対にしないでほしい ] 亡くなった国労組合員の林さんの遺族

 智頭町岩神の林勝一郎さん(47)の実家では、妻裕子さん(35)が27日に営まれる葬儀の準備や弔問客の対応を気丈にこなしていた。「原因は調べてもらいたいけど、主人はもう戻ってこないですから……。ただ、主人の最期がどうだったか、知りたい」と、目にハンカチをあてた。


 林さんは高校卒業後に旧国鉄に入社。JRになってからは県内外の転勤を繰り返し、昨年、林さんの両親が住む実家に引っ越してきた。林さん自身は米子市内で単身赴任だったが、週末は実家に戻り、小学生の子ども2人と一緒に過ごした。事故前日の23日朝、雪が降っているからと、いつもより早く実家を出発したという。


 裕子さんは、仕事中には危ない場面もあると、林さんに聞かされたばかりだった。

林勝一郎さん=遺族提供


「『勘弁してー』なんて言ってたのに……」。事故について、警察やJRから詳しい説明はまだない。「例え誰かのミスだったとしても、個人を責めるようなことは絶対にしないでほしい」と話した。


 全文

 

 

JR伯備線作業員死傷:現場責任者、「特急遅れ」を復唱 指令との通信記録に /鳥取
 JR伯備線の事故が発生する約7分前に、現場責任者(24)が、米子市にある運転指令が伝える特急の遅れを復唱して確認していることが分かった。JR西日本米子支社が25日夜に公表した運転指令と現場責任者の通信記録の一部から、明らかになった。会話は指令側で録音され、任意で黒坂署に提出された。

 記録は、現場責任者が24日午後1時10分ごろ、運転指令にかけてきた電話を録音したもの。会話は54秒間で、同支社が公表したのは事故を起こした下り特急と貨物列車の遅れ情報にかかわる部分。

 運転指令は「今、1019(下り特急)が14分遅れております」と報告し、責任者は「1019が14分」と復唱。その後、運転指令は「はい。3084(貨物列車)が14〜15分ぐらい」と続け、最後に2人は「13時12分」と現在時刻を確認し、電話を切っていた。【小林多美子】

毎日新聞 2006年1月27日

JR伯備線作業員死傷:3人の無念、献花震え 米子支社長「痛恨の極み」 /鳥取
 ◇県警幹部「責任明らかに」

 特急電車にはねられ、保線作業員3人が亡くなった江府町武庫のJR伯備線事故現場では25日、JR西日本関係者や近隣住民らが、犠牲者の冥福を祈って手を合わせた。線路脇に設けられた献花台には、多くの花束がささげられたが、福知山線で起きた大惨事の反省から打ち出した同社の「安全第一」の誓いは、中国山地の地方路線でもろくも崩れた。現場を訪れた県警幹部は「責任の所在を明らかにしなければならない」と述べ、全容解明を誓った。【小松原弘人、松本杏】

 午前10時半ごろ、沈痛な面持ちで献花したJR米子支社の長谷川富夫支社長は「3人の尊い命を失ったことは痛恨の極み。遺族の方に深くおわびしたい」と語った。特急通過の順番変更について内部の連絡ミスによる人災では、との指摘に対し、「今後の調査でもう少し具体的に明確になってくる」と言葉少なに述べた。

 本社の西川直輝・安全推進部長(常務執行役員)は「列車運行と保線作業の連絡体制に不備があったとみられる。安全性を公約している立場であり、おわびの気持ちでいっぱい」と厳しい表情で話した。

 数年前まで同支社に勤めていた長男(47)が、事故があった伯備線の特急の車掌だったという近くの主婦(73)は、亡くなった3人のうち2人が息子と同年齢の40代後半ということもあり、人ごととは思えなかったという。「『何で』と思うが、不幸なタイミングと言うしか……。寒ければ体も硬くなるし、逃げられなかったのだろう」と語り、現場の社員にお悔やみの言葉を伝えていた。

 現場の線路脇を走る国道の歩道に設置された献花台の手向けられた花束が、亡くなった3人の無念さを表すように寒風に震え、地元住民が静かに手を合わせていた。

 献花台が設置される前の午前8時半ごろ、業務上過失致死傷の疑いで捜査にあたる黒坂署の幹部が1人、現場付近で作業員がはねられた場所を探していた。線路沿いの日野川からは冷たい風が吹きつける中、幹部は足を止めた。線路内には、悲惨な事故を物語る血に染まった雪が残されていた。

 左右を見、列車の下りと上りの方向を確認した後、「ここは携帯電話の不感地帯。1回の電話で確認するのは危険だ」と指摘した。今回のように列車が走行している中、運転指令からの連絡だけで、現場作業員は列車到着までの時間や距離を把握できるのか。根雨駅で停車した際に再び確認した方がよかったのではないか。JRの安全対策への疑問が浮かぶ。

 「これだけの(大きな)事故。責任の所在を明らかにしなければならない」と亡くなった3人に誓った。

毎日新聞 2006年1月26日

再発防止 支社で訓示

訓示後、報道陣の質問に答える山崎副社長(JR米子支社で)

 2月にJR西日本社長に就任する予定の山崎正夫・副社長は26日、米子支社で社員80人に事故の再発防止を訓辞した。

 山崎副社長は前日夜から県入り。県内の2遺族宅を弔問した後、26日午前中に事故現場で花を献じた。

 訓辞では、関係者の連絡ミスが事故原因との認識を示し、「人間の注意力だけで事故は防げない。人間はミスをするという前提で手だてを考えなければいけない」と語り、作業マニュアルの見直しやハード面での対策の必要性を強調した。

(2006年1月27日 読売新聞)

 

 

JR伯備線のやくも号死傷事故で作業員用ダイヤ表押収

 JR伯備線のやくも号死傷事故で、鳥取県警は作業員用の列車ダイヤ表三枚を押収。このうち、県警が現場責任者(24)が所持していたと見ている表に、事故車両の特急スーパーやくも9号の遅れを示す内容が記されていることが二十六日、分かった。

 ダイヤ表はJR米子支社の作業マニュアルで、現場責任者と見張り員が所持することになっている。事故当日の現場には、責任者と二人の見張り員がいた。

 押収した三枚のうちの一枚について、県警はメモ書きの内容とJR関係者からの事情聴取を基に、現場責任者のダイヤ表とみて調べを進めた。

 表には上りの貨物などが遅れているいることに加え、スーパーやくも9号の遅れを示す内容も書かれていた。

 同支社によると、ダイヤ表にメモを書いたり、ダイヤの線を引き直すなどはそれぞれの判断に委ねられており、マニュアルにも規定はない。

 今回の事故で、現場責任者と同支社の運輸指令との間では、携帯電話を使って列車の遅れが確認されている。ダイヤ表にも遅れをメモしながら、間違えた指示を出していた可能性も出てきた。


('06/01/27 山陰新報

伯備線事故、現場責任者ダイヤ表に列車遅れ記入なし
 鳥取県江府町のJR伯備線で、上田伸也さん(21)らJR西日本米子保線区員4人が下り特急にはねられて死傷した事故で、現場責任者が所持していたダイヤ表に、列車遅れの書き込みや通過列車の有無を確認した形跡がなかったことが県警の調べでわかった。事故当時はダイヤが乱れ、付近を通過する列車は「上下」の順序が通常とは逆になっていたが、現場責任者が見張り員と行う作業前確認を怠っていた可能性もあるとみて捜査している。

 米子支社の説明では、ダイヤ表には作業時間帯に現場を通る全列車番号と通過時間を折れ線グラフで表記。現場責任者は作業前、列車遅れなどがある場合、ダイヤ表に書き込み、2人の見張り員と変更を確認することになっている。

 事故のあった24日、現場責任者には携帯電話で下り特急が「14分遅れている」と連絡があったのに、ダイヤ表にはまったく書き込んだ跡がなかった。

◆警報システム導入急ぐ…JR西日本

 JR伯備線で起きた保線区員の死傷事故を受け、JR西日本は25日、全地球測位システム(GPS)を使って、作業員や保守用車両の位置、列車接近の情報を関係者が共有する警報システムの導入を急ぐ方針を明らかにした。

 「作業中の安全確保を現場の判断に任せる方法では、事故を防ぎきれない」と2002年度に開発をスタート、現在、奈良線で試験運用を行っており、この日会見した池田靖忠・鉄道本部長は「見張り員の補助手段として早期に実用化させたい」と話した。

(2006年01月26日 読売新聞)

現場ダイヤ表、下り特急の遅れ記入せず 伯備線事故

 鳥取県江府町のJR伯備線で下り特急スーパーやくも9号にはねられ保線員3人が死亡した事故で、鳥取県警が押収した現場責任者(24)のものとみられるダイヤ表に上り列車の遅れは記入されていたが、やくも9号については記入されていないことが26日、分かった。

 現場責任者がやくも9号は通過済みと勘違いし、遅れているとの認識が抜け落ちていたことを裏付ける可能性があり、鳥取県警はJR西日本の事故防止マニュアルと照合、保線員らから当時の状況を聴くなどして調べている。

 ダイヤ表には、本来やくも9号の後に通過する2本の上り列車について赤のペンで「3084(列車番号)、15分。826M(同)、6分」と書き込みがあった。だがやくも9号についてはなかった。

 JR西米子支社が公表した現場責任者と運輸指令の事故直前の会話録音記録によると、運輸指令はやくも9号と上り列車の遅れを伝え、現場責任者が復唱するなど返答していた。

 同支社によるとマニュアルでは、作業時間中に通過した列車はダイヤをペンでなぞって消すが、遅れについて記入する義務はないという。

 ダイヤ表は、現場責任者と監視役2人がそれぞれ持ち、通常は作業開始時に運輸指令から列車遅れの連絡を受け、現場責任者が監視役に伝える。だがJR西によると、責任者がやくも9号の遅れを伝えていなかった可能性があり監視役は逆の上り列車を警戒していた。

(共同)

(01/26 12:54)

1年半前、思い違いで事故寸前…伯備線事故の米子管内
 鳥取県江府町のJR伯備線で、JR西日本米子保線区員4人が特急にはねられ、死傷した事故の起きた同社米子支社管内で2004年9月、現場責任者の思い違いにより、保線作業員3人が特急列車にはねられそうになるトラブルが起きていたことがわかった。

 伯備線の死傷事故でも、現場責任者が思い込みで誤った指示を出した可能性が高まっており、過去の教訓を生かせない体質は批判を浴びそうだ。

 同支社によると、04年9月9日午前10時40分ごろ、島根県益田市の山陰線・益田―石見津田間で、浜田鉄道部浜田工務支部の保線作業員3人がレールのつなぎ目を補修中、上り特急「スーパーおき2号」が数百メートル手前に迫ってきたため、現場責任者があわてて非常用の笛を吹き、線路から飛びのいたという。列車は急ブレーキをかけ、数分間現場に停車後、運転を再開した。

 3人は現場責任者と工事担当、見張り担当。この日は、台風の影響で新山口―益田間の山口線が始発から全線運休中。現場責任者は、山口線から益田で山陰線に乗り入れる新山口発米子行き「スーパーおき2号」の運行がないと勝手に判断。ダイヤ表の「スーパーおき2号」を塗りつぶし、運休扱いにしていた。だが、特急は山陰線だけを走る益田発に変更されていた。

 当時、運輸指令は、ダイヤ変更を、現場責任者に事前に2回電話で伝えていたが、責任者は「十分に理解していなかった」という。

 米子支社総務企画室は「意識改革を再度、徹底したい」としている。

(2006年1月26日15時48分 読売新聞)

現場責任者ダイヤ表には記す 伯備線死亡事故


事故現場から見つかったダイヤ表
 鳥取県江府町のJR伯備線で下り特急スーパーやくも9号に保線員三人がはねられ死亡した事故で、現場責任者(24)が使用していたとみられるダイヤ表に9号の遅れを記す書き込みがあったことが二十六日、県警の調べで分かった。ダイヤ表は二人の見張り員も所持しており、現場から見つかった他の二枚のダイヤ表に遅れを示す書き込みがないことから、責任者から他の保線員に9号が遅れる情報が伝わっていなかった可能性もあるとみて調べている。

 列車の運行予定を記したダイヤ表には通過駅ごとに時刻が示され、マニュアルでは作業中に通過した列車をペンで塗りつぶし、確認する。事故当時のようにダイヤが乱れた場合は、記入に特別な取り決めはない。

 同責任者のものとみられるダイヤ表には、運輸指令が伝えた内容と符合する数字や記号が書き込んであった。見張り員のものとみられるダイヤ表には上り貨物列車の遅れしか記入が見えず、内容に違いがある。

 JRや県警の調べでは、同責任者は同支社運輸指令とのやり取りで9号の遅れを確認していたにもかかわらず、見張り員に対して「次は上りの貨物列車が来る」などと伝えていた。

 さらに、最寄り駅を列車が通過する五分前には作業現場を離れる保線作業マニュアルを順守せず作業に着手していることなどから、同責任者が9号が通過する事実を認識していなかった様子がうかがえる。

 同責任者は入院加療中で、県警は回復を待って詳しく事情を聴く方針。一方、県警は現場への列車情報の伝達に不備がなかったかを確認するため、運輸指令からも事情を聴いており、同支社上層部の管理責任も視野に入れて捜査する。既に同支社から現場と運輸指令の交信記録や作業マニュアルなどを入手して分析中で、事故原因の絞り込みを急ぐ。


監視社員に遅れ伝えず? 伯備線事故で作業責任者
 鳥取県江府町のJR伯備線で保線作業中のJR西日本社員が特急にはねられ3人が死亡した事故で、列車の監視をしていた社員には特急の遅れが伝わっていなかった可能性が高いことが25日、JR西日本の調べで分かった。

 当時は2人が見張りに立っていたが、現場責任者の男性社員の指示で、特急が来る方向とは逆の上り列車を警戒していた。鳥取県警も責任者の指示が逆だった事実を把握しており、関係者から事情を聴き業務上過失致死傷容疑で調べている。

 JR西日本は同日、再発防止策として、列車が双方向から来る単線区間の保線作業は当面、列車が通らない時間帯を選んで行い、赤信号にして作業区間を閉鎖する方針を明らかにした。


中国新聞: 1月25日19時1

 

午後1時3分  下り特急通過予定時刻

午後1時10分 作業員7人が現場到着

        運輸指令から作業責任者に「下り特急が14分遅れ上り貨物列車が14〜15分遅れ」と連絡

        作業責任者が見張り担当員に特急が来る方向とは逆の約400メートル先にいるように指示?

午後1時18分 作業員4人が特急にはねられ死傷

午後1時45分 上り貨物列車の通過予定時刻

国労西日本本部 声 明
2006年 1月24日
国鉄労働組合西日本本部
伯備線・根雨〜武庫間における触車死亡事故について
本日、13時18分頃、伯備線・根雨〜武庫間において保線作業中の労働者が特急「スーパーやくも9号」に触車し3名の仲間が死亡、1名の仲間が負傷するという重大事故が発生した。
亡くなられた3名の仲間のご冥福を衷心よりお祈りするとともに、負傷された仲間の1日も早い回復を心から願うものである。
事故原因等については、現時点明らかになっていないため言及することはできないが、尊い命を奪ったこの事故は「あってはならない事故」である。まして、1969年2月13日に伯備線・上石見〜生山間において列車遅れの状況のもとで触車事故が発生し、6名の作業中の労働者が殉職、また、1999年2月21日、東日本会社内でダイヤ確認を怠ったことから臨時回送列車に作業員5人全員が触車死亡するという惨事が発生している等、同種事故が続発してきたにもかかわらず、これらの教訓が全く生かされていない。安全・安心の輸送と職場確立に向けて奮闘してきたわれわれとしては極めて遺憾であると言わざるを得ない。
「安全性向上計画」を推進中の事故でもあることからも、強く抗議の意を表すものである。
国労西日本本部は、利用者が安全で安心して利用できる輸送の確立と労働者が安心して働ける職場環境を求め、改めて事故の再発防止と抜本的な安全対策強化・確立に向けて奮闘する決意である。
‐以 上‐

 

やくも号死傷事故、勘違いミス濃厚に
'06/01/26 山陰中央新報

 JR伯備線の「やくも号死傷事故」で、JR米子支社は25日、事故原因の解明を進めた。作業班は現場に向かう途中、上り特急やくも16号の通過を確認していたことが判明。通常ダイヤでは、事故を起こした下り特急やくも9号の後に上り特急やくも16号と貨物列車が続くことから、現場責任者(23)は、同支社の運輸指令との間で下り特急の遅れを確認していながら、上り方面から列車が来ると指示していた可能性も出てきた。

 この時間帯の列車は「下り特急−上り特急−上り貨物」の順に現場を通過するが、事故当日は新幹線との接続の関係で、下り特急に遅れが発生。「上り特急−下り特急−上り貨物」の順に変わっていた。
 現場に到着し、米子方向を見張っていた社員(45)は、「次は上り(貨物)が来ると現場責任者から聞いた」と話しており、現場責任者の勘違いによる指示ミスが濃厚になった。

 さらに、同日明らかになった指令と現場責任者の交信内容で、指令側が「今、下り特急が十四分遅れております。上り貨物列車が14、15分ぐらい」と告げ、現場責任者は「はい」と返答。いずれも遅れを認識していた。

 一方、鳥取県警捜査一課と黒坂署は同日、出雲市のJR出雲鉄道部出雲車両支部に回送された特急車両を実況見分した。

 JR西日本は同日、事故の再発防止策として、管内で保線作業を行う際は列車の運行を一時止めると発表。同支社も当面、管内での保線作業を中止する。


特急にはねられ、保線員3人死亡 JR伯備線 1/25

特急スーパーやくも9号にはねられた作業員の救助活動をする消防隊員

24日午後2時9分、鳥取県江府町

 二十四日午後一時二十分ごろ、鳥取県江府町武庫のJR伯備線で、保線作業をしていた四人のJR西日本米子支社の職員が岡山発出雲市行きの下り特急スーパーやくも9号にはねられ、三人が死亡した。鳥取県警は業務上過失致死傷の疑いがあるとみて事故原因を調べる方針だが、現場では下り列車を見張る職員が配置されておらず、保線作業中の安全管理についてJR西日本の責任が問われそうだ。

 県警とJRによると、死亡したのは▽米子市目久美町、林勝一郎さん(47)▽同市錦町二丁目、田子賢治さん(49)▽同市祇園町二丁目、上田伸也さん(21)−の三人。日南町生山、西村豊さん(49)が腰に軽いけがをした。四人は同支社米子保線区根雨保線管理室の所属。六両編成の特急には百三人の乗客がいたが、けがはなかった
 特急の運転士は現場の約三百メートル手前で保線員の姿を発見し、汽笛を鳴らして非常ブレーキをかけたが、間に合わなかったという。現場の速度規制は百十キロで、特急は約百キロで走っていた。
 作業をしていたのは同管理室のグループ(七人)。責任者一人、見張り員二人、作業員四人でレールを持ち上げて線路のバラスト(砕石)を機械を使って固めていた。
 特急は定時よりも十五分遅れで運行。遅れは事故発生の約十分前に現場に伝えられていたが、二人の見張り員は午後一時四十分過ぎに通過する上り列車の警戒に当たり、下り列車の見張り員はいなかった。
 作業のマニュアルでは最寄り駅を列車が通過する五分前に線路から退避するよう定められていた。このため、グループは特急が既に通過したと思い込み、作業をしていた可能性がある。
 現場は緩いカーブで、根雨駅(日野町)と武庫駅(江府町)のほぼ中間。事故原因を調べるため、鳥取県警は同日、総合対策本部を設置した。JRになって米子支社管内で保線員が犠牲になった事故は初めてという。

◆残念で仕方ない

 西川直輝・JR西日本鉄道本部安全推進部長
 社員を亡くし、痛恨の極みだ。ご家族にお悔やみ申し上げたい。福知山線の事故で多くの命を奪い、安全性向上計画に取り組んでいただけに、残念で仕方がない。市民に不安を与えてしまい、誠に申し訳なく思う。原因を究明し、対策を講じたい。

 

情報伝達ミスか 下り列車警戒せず 伯備線事故 1/25

JR伯備線の保線員死傷事故で、JR米子支社は二十四日、記者会見を開き、事故の概要を説明した。民営化以降、保線員が犠牲になるのは同支社管内では初の惨事。同支社は事故対策本部(本部長・長谷川富夫支社長)を設置し、遺族への対応に当たるとともに、事故の原因究明に乗り出すという。

沈痛な表情で陳謝するJR米子支社の半田真一次長(中央)、金谷道男安全推進室長(左)、内藤安夫施設課長=24日午後6時10分、JR米子支社

 作業していた七人は作業責任者一人、見張り員二人、作業員四人のグループ。亡くなった林勝一郎さんは見張り員、田子賢治さんと上田伸也さんは作業員だった。作業中、見張り員は林さんが現場で、もう一人は下り特急が来た方向とは逆の上り方面に約四百メートル離れた地点で、それぞれ上り列車の警戒をしていた。
 特急はこの日、約十五分遅れで運行。通常ダイヤであれば、午後一時二分ごろに現場を通過する予定だった。作業員らは午後一時過ぎに現場に到着。作業責任者が同十二分に作業前に行う米子支社運輸指令への電話連絡をした際、「特急が十四分遅れで運行している(最終的には十五分遅れ)」との情報が伝えられた。しかし、グループは線路内で保線作業を開始し、同十八分に通過した特急にはねられた。
 同支社は会見で、「現段階で具体的な検証ができていない」と述べたが、作業員らの証言で上り線を見張っていたことが判明。見張り員は午後一時四十分過ぎに通過する貨物列車を想定して上り列車を警戒していたとみられ、情報の伝達ミスなどから、作業員らが「特急はすでに通過」と誤認識し、作業に従事していた可能性もある。
 同支社の半田真一次長は会見で「大変な事故を起こし申し訳ない。特に亡くなられた方と遺族におわび申し上げます」と深々と頭を下げた。原因究明と再発防止に向けた取り組みについては「まずは遺族への対応。並行して原因究明に努めたい」と述べた。

 

JR伯備線作業員死傷:安全確認、徹底のはずが…ダイヤ変更、伝わらず? 

/鳥取 毎日新聞 2006年1月25日】

 保線作業員3人が死亡するなど5人が死傷した江府町武庫のJR伯備線の事故。綿密な作業計画のもと、安全確認を徹底しているはずのプロの作業員が逃げる間もなく特急電車に巻き込まれた。日野川沿いの渓谷を縫うように走る線路沿いの国道181号を救急車が走り、車輪に巻き込まれた作業員の救出を急ぐ消防隊員や警察官があわただしく行きかった。静かな町の住民は「どうしてこんな事故が」と突然の大事故に言葉を失った。【小松原弘人、小林多美子】

 事故は24日午後1時18分ごろに起きた。JR西日本米子保線区の作業員7人が線路の補修作業中。15分遅れで運行していた岡山発出雲市行きの特急「スーパーやくも」が時速100キロで現場に差しかかった。

 300メートル手前で作業員に気付いた運転士は警笛を鳴らし、非常ブレーキをかけたが、作業員数人が次々にはねられた。

 直後に2人は米子市内の病院へ運ばれ、車輪に巻き込まれた1人は約50分後に助け出された。現場にかけつけた住民の男性(64)は「救急車などがたくさんきていて騒然としていた。こんな大事故が起きるなんて信じられない」と緊張した表情。

 現場は単線区間。救出作業にあたった消防士によると当時は雪が降っていたが、見通しのいい直線で視界が悪くなるほどではなかったという

 特急は本来は事故現場を通過した後、江尾駅(江府町)で対向列車とすれ違うことになっていた。ところが、15分遅れで運行していたため、現場手前の根雨駅(日野町)で待避し対向電車とすれ違ったという。

 JR関係者は「作業員に(ダイヤの変更が)きちんと伝わっていなかった可能性がある」と指摘する。JRの安全管理に問題がなかったのか、県警の捜査が行われることになる。

 

響くサイレン山村騒然 JR特急事故保線区員死亡2006年1月25日  読売新聞】

 

現場検証する黒坂署員ら(24日午後3時30分、江府町武庫で)

 24日午後、江府町武庫のJR伯備線で、岡山発出雲市行き特急「スーパーやくも9号」に保線区員4人がはねられた事故は、3人が死亡する惨事となった。厳しい冷え込みの中、現場では懸命の救助が行われたが、消防車両のサイレンが鳴り響き、山村は一時、騒然となった。

 現場は、日野町のJR根雨駅から米子駅方向に約2・5キロ離れた、緩いカーブに入る区間。線路は、日野川と国道181号に沿って高さ1〜2メートルの土手の上を走っている。緊急停止した「スーパーやくも9号」そばの国道の歩道には、はね飛ばされた保線区員のものと見られるリュックや道具類が落ちており、事故の衝撃の大きさと、悲惨さを伝えていた。

 車両の下に巻き込まれた保線区員の救出にはレッカー車やジャッキが使われ、救助作業が一段落すると、運転士や車掌らが車輪などに異状がないかを目視で確認。列車は午後3時過ぎに運転を再開した。車内で待っていた乗客らは、不安そうに現場を見やっていた。

 事故現場には、近隣の消防署から救急車4台、救助工作車2台など計8台がサイレンを鳴らして急行。近くの集落は川を挟んで100メートル以上離れているが、サイレンなどで異変に気付いた住民らは、救急隊員らがけが人を担架で救急車に運び込む様子を、対岸から見守っていた。近くの主婦、久木節さん(73)は「こんなのどかな場所で、一度に何人もはねられる事故が起こるなんて」と、ショックを受けていた。

 県西部広域行政管理組合消防局は、午後1時22分、JR米子支社運輸指令から119番を受けた段階で、大事故と判断。鳥取大医学部付属病院に医師2人の派遣を要請し、医師のうち1人は、米子市内にけが人を搬送中の救急車と合流して同乗、もう1人は事故現場で応急処置に当たった。

 救急車で搬送されてきた軽傷者を救急外来で診察した米子医療センター内科系診療部長の山本哲夫医師(48)は「全治数日の軽傷だが、本人の希望もあり、入院させて様子を見る。列車に当たったか、と尋ねたが『覚えていない』と話していた。普通に会話できる状態だが、かなり動揺しており、顔は青白く、こちらの質問には答えるが、口数は少ない様子だ」と話していた。

 

 

保線作業中に特急、3人はねられ死亡…JR伯備線2006年01月25日  読売新聞】

24日午後1時18分ごろ、鳥取県江府町武庫のJR伯備線で、線路内で作業中のJR西日本米子保線区員4人が、岡山発出雲市行きの下り特急「スーパーやくも9号」(6両編成、乗客103人)にはねられ、3人が死亡、1人が軽傷を負った。乗客にけがはなかった。現場は単線で、見張り員2人は反対方向を見ていたといい、県警は業務上過失致死傷容疑で関係者から事情を聞き、25日、特急の実況見分を行う。

 

保線区員をはね、停車した特急「スーパーやくも9号」(24日午後2時50分、鳥取県江府町で)

 亡くなったのは、林勝一郎さん(47)(同県米子市目久美町)▽田子賢治さん(49)(同市錦町)▽上田伸也さん(21)(同市祇園町)。

 県警やJR米子支社によると、特急は約15分遅れで時速約100キロで走行、約300メートル手前で運転士が区員に気づき、警笛を鳴らしたが、間に合わなかったという。現場では計7人が機械で敷石を突き固めるなどの作業をしており、その音と振動で特急の警笛に気づかなかった可能性もある。

 事故の6分前、現場責任者(23)が同支社運輸指令に作業開始と列車の遅れを携帯電話で確認。指令が特急などの遅れの情報を伝えたが、見張り員2人は特急が来るのと反対側の約400メートル北と、現場付近に配置され、ともに上り列車を警戒していたといい、県警は連絡に不備があった可能性もあるとみている。

「次は上り」現場責任者から指示…JR伯備線事故

 ◆見張り員が証言、ダイヤ乱れ通過順逆転2006年01月25日  読売新聞】

 鳥取県江府町のJR伯備線で、保線区員4人が下り特急にはねられて死傷した事故で、現場から約400メートル離れた場所で上り列車を警戒していた見張り員(45)が、県警に対し、「現場責任者から『次の列車は米子方面から来る』と指示されて、配置についた」と話していることがわかった。事故当時はダイヤの乱れから、列車がこの付近を通過する順序が逆になっていたことも判明。県警は精神的ショックで入院中の現場責任者(23)の回復を待って事情を聞く。

 調べでは、通常ダイヤでは、下りの「スーパーやくも9号」が午後1時2分ごろ現場を通過、同9分ごろ上り特急、同43分ごろに上り貨物列車が通る「下り上り上り」の順で付近を通過することになっていた。

 しかし、事故のあった24日は、先行列車が新幹線の接続待ちで遅れたため、上り特急が先に現場を通過しており、「上り下り上り」の順に変更されていた。

 保線区員らは現場に向かう途中、上り特急を見ており、県警は現場責任者が「次は上り貨物」と思い込み、逆方向の見張りを指示していた可能性があるとみて捜査を進める。

 一方、県警は25日午前6時過ぎから、島根県出雲市のJR西日本米子支社出雲車両支部で、事故車両の実況見分を実施。県警捜査1課や黒坂署員ら9人が、先頭車両の左側を重点的に調べ、車輪や車体側面についた傷を分析した。

 

無言の帰宅に「なぜ・・・」2006年1月25日  読売新聞】

亡くなった田子賢治さん(49)の米子市の自宅には、夕刻から悲報を知った近所の人が出入りし、慌ただしい雰囲気。田子さんの遺体は、午後7時半ごろ、近所の人約10人が出迎える中、無言で帰宅した。

 田子さんは、長年トライアスロンの選手として活躍するスポーツマン。自治会では体育部長を務め、運動会や球技大会の世話をしていた。妻と息子2人、両親の6人家族で、集まった人たちは「世話好きな立派な人だったのに」と涙ぐんだ。

 

 また、亡くなった林勝一郎さん(47)が住んでいた同市目久美町のJR西日本米子鉄道寮では、ほとんど人の出入りもなく、ひっそりと静まりかえったまま。寮は4階建ての独身や単身赴任者用で乗務員の休憩所としても使われており、休憩でやって来た男性乗務員は「安全確保に皆で取り組んできたのに、なぜこんなことが起きてしまったのか」と肩を落としていた。

 一方、JR米子支社では4階記者室で、午後6時20分から会見が開かれた。半田真一次長ら3人の社員は冒頭、深々と頭を下げた。詰めかけた報道陣20人余りから次々と質問が飛び、会見は約1時間にも及んだ。

 

 

JR伯備線事故 突然の惨事「信じられぬ」 【2006年01月25日 朝日新聞】

江府町武庫のJR伯備線で24日、保線作業中の作業員が特急列車にはねられ、4人が死傷した。まさに、事故は一瞬だった。現場には作業員のはいていた長靴などが散乱し、病院に駆けつけた知人らはあまりに突然の出来事に「信じられない」とぼうぜんとした表情を見せた。現場の線路は見通しのよい直線区間。事故直後、救急車やパトカーの赤色灯が回り、騒然とした雰囲気に包まれた。

 作業員たちがはねられた付近には、長靴やヘルメット、リュックサックなどが散乱し、線路脇の雪には血のりがたまっていた。先頭車両の下部はへこんでおり、衝撃の大きさを物語っていた。列車の乗客は、不安げに窓から外の様子をうかがっていた。

故現場の線路前で献花するJR西日本米子支社の長谷川富夫支社長=鳥取県江府町武庫で25日午前10時半、小松原弘人写す

 亡くなった田子賢治さん(49)と上田伸也さん(21)が運ばれた米子市西町の鳥取大学医学部付属病院。救命救急センターの扉の前の廊下で、JR西日本の社員5、6人が、沈痛な面持ちで並んで直立していた。取材に対して「情報がさくそうしている。よく分からない」と繰り返すばかりだった。

 田子さんの家族と親しい女性が同社社員に泣きながら話した。「頭から血が出ていて心肺停止。即死です」。その瞬間、男性社員の一人が「はあ」と深いため息をついた。

 田子さんの自宅近くに住む70代の男性は午後4時ごろ、ニュースで事故を知り、病院に駆けつけた。「地域の活動にも熱心で、本当に惜しい人を亡くした。何でこんな事故が起こったのか」と声を詰まらせた。家族ぐるみのつきあいをしていた同市内の主婦(47)は「明るい人だった。亡くなったことがいまだに信じられない」と話した。

 同市皆生新田1丁目の山陰労災病院には、林勝一郎さん(47)が運ばれた。JR西日本の社員によると、林さんは、意識不明のまま全身を毛布にくるまれた状態で搬送されたが、まもなく死亡したという。

 うつむいたままの女性が、病院に駆けつけ、JR社員に案内されて病院内に入っていった。壁越しにすすり泣く声が聞こえてきた。

 同市車尾の米子医療センターには、腰を打った作業員(49)ら2人が運ばれた。病院に着いたとき、2人は青ざめた表情で、医師の問いかけに「列車に当たったかどうか覚えていない」と話していたという。

鳥取・JR伯備線作業員死傷:敷石固めで機械、作業音で警笛気付かず?

事故現場の線路前で献花するJR西日本米子支社の長谷川富夫支社長=鳥取県江府町武庫で25日午前10時半、小松原弘人写す 鳥取県江府町のJR伯備線で24日に保線作業員3人が特急電車にはねられて死亡した事故で、JR西日本米子支社の長谷川富夫支社長らJR関係者が25日午前、現場で献花した。一方、事故当時、単線で電車がすれ違う待機駅を変更して事故現場を通る上下の特急の順番が逆になっていたことに加え、保線作業の機械の騒音で作業員が近づく特急の警笛に気が付かなかった可能性も浮上。JRの安全に対する取り組みが問われそうだ。

 JR西日本によると、事故現場を通過するのは通常、(1)下り特急(2)上り特急(3)貨物列車の順だった。しかし、この日は事故を起こした特急電車の運行の遅れから、待機駅が現場より先の江尾駅でなく、現場手前の根雨駅になり、(1)上り特急(2)下り特急の順となった。しかし、こうした情報が正確に作業員に伝わらず、上り特急が通った後なので、普段通りに次は貨物列車が来ると思い込み、逆方向を注意していた可能性がある。

 一方、事故を起こした特急の運転士は現場手前約300メートルのところで線路内の人影に気づいて警笛を鳴らした、と話しているが、現場では敷石を固める作業をしており、機械の騒音で気づかなかった可能性があり、こうした要因が複合的に重なって事故を避けられなかった疑いがあるという。

 ◇事故車両を見分

 一方、鳥取県警は25日朝、鳥取県江府町のJR伯備線の事故で、島根県出雲市のJR米子支社出雲車両支部にある事故車両の実況見分をした。

 見分は事故車両が置かれた検修庫内で午前6時過ぎから約1時間半かけ実施。同支社の社員2人が立ち会い、9人の捜査員が作業員をはねた1両目を中心に、事故の衝撃でつぶれたビニール製の連結器カバーや車体の側面の傷、車輪付近などを調べた。【小坂剛志】

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 ◇米子支社長ら献花

 現場の線路脇を走る国道の歩道には、JR米子支社が同日朝、献花台を設置。通過列車が警笛を鳴らして弔意を表した。

 長谷川支社長ら3人は午前10時半ごろ、献花台に花束をささげて犠牲者の冥福を祈った。長谷川支社長は「大惨事を起こし申し訳ない。厳しく原因究明し再発防止対策に全力を挙げたい」と述べ、遺族宅に向かった。本社の西川直輝・安全推進部長もこの前に現場を訪れて献花。「福知山線事故で大きく信頼を損なったのを受け、全社を挙げて安全性向上計画を推進している最中の事故で残念。心からおわびしたい」と語った。

 同支社では午前9時の朝礼で社員約30人が約1分間、犠牲者に黙とうをささげた。半田真一次長は「安全最優先の会社に向かっていくため皆で頑張ろう」と訓示した。

 この事故では、田子賢治さん(49)ら3人が亡くなり、遺族らは悲しみの中、葬儀の準備などに追われていた。【小松原弘人、小林多美子、傳田賢史】

 2006年1月25日
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